差別の正当化を容認しない!PIAMYは<トランス>排除ポリシーを改めよ

webページの画面スクリーンキャプチャーが2枚並ぶ。
それぞれAppleGoogle で提供されるPIAMYアプリの画面

目次


1.はじめに

1-1.「PIAMY」について

PIAMY (ピアミー)というアプリを、ご存じでしょうか?

セクマイがつながれる 女の子だけの国内最大級SNSアプリ」を謳い、 現在、4万人を超えるユーザーに利用されていると言うこのサービスは、主に女性の同性愛者、そして男性ではないセクシャルマイノリティを対象として、株式会社アルトレオスによって提供されています。

いわゆる‟出会い系”、デーティング、マッチングと言われるサービスの大半が――もっぱら異性愛者向けのものとして――恋愛・性愛、あるいは婚姻関係を得ることを目的に設計されているのとは異なり、PIAMYは、たとえば友人関係を築きたいという個人に対しても、公式に利用が推奨されています。

ロマンスやセクシャルな関係の相手探しに限らず、レズビアンや様々なセクシャル・マイノリティが交流を深めるためのツールとしても、評判を呼んでいるPIAMYですが、しかし一方で、そのサービスの根幹に重大な問題を抱えています。

PIAMYを利用するには「身分証の性別表記が女性である」こと、より具体的には、戸籍の記載が女性であることが必須の要件になっており、事前の証明書類の提出と審査が求められるからです。

――PIAMYが利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っているのは、<トランス>差別ではないのか?(註1)(註2)

PIAMY公式サイトに掲載されている「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」と題されたページを読んで、考えてみようと思ったのですが……

1-2.判然としない、利用制限の理由

PIAMYは、本当に<トランス>差別的なサービスなのか?

……ページを一読するも、なんだか判然としません。

いや、読んで何となく嫌な感じ、なんだか差別されている感じがするな、という印象は受けました。

しかし、具体的にどの箇所が、どのように<トランス>差別をしていると言えるのか、はっきりと言葉にすることができません。

一方、よく分かる、いや、分かり過ぎたと言ってよいこともあります。

それは、PIAMYを利用することができるのは、やはり「身分証の性別表記が女性」の人だけ、つまり、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーは、利用することができないサービスであるということです。

でも、そのことは……この文章を読まなくても、分かっていたことです。

一体私は、PIAMYのこのテクストを読んで、何を理解したと言えるのでしょうか?

私は単に悪感情に支配されているだけで、PIAMYの言っていることの方が公正に適っているのでしょうか?

PIAMYが設けている利用制限は、致し方ないものとして受忍されるべきものなのでしょうか?

本論考では、PIAMY公式サイトに掲載されている「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」と題されたテクストの内容を、その構造に触れつつ、詳しく見ていきます。

そのうえで、今結論を先取りして述べれば、本稿ではPIAMYが

  1. 戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーの利用を認めていないことについて、その理由を述べていないこと
  2. 戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを、「女性を装った男性ユーザー」であるかのように仄めかし、根拠なき不当な<トランス>差別の言説を煽り立てていること
  3. トランス・コミュニティとの友好・協働などを示すことで、自らの<トランス>差別の ‟穴埋め” できるかのように演出していること

という、主に三つの点について、明らかにしてきたいと思います。


2.検証 「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」

以下、PIAMY公式サイトに掲載されている「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」と題されたテクストを検証していきます。

2-1.テクストの構成

まずは、文章全体の構造を概観するべく、テクストをパラグラフごとに分け、目次を作製します。

テクストは、次のようなパラグラフ構成をとっています。


以下のテクストが書かれている。  「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」の構成  1.リード文 2.利用条件について 3.このような条件を採用する理由 4.法律のアップデートとトランスジェンダーの現状 5.私たちのこれまでの歩みと、これからのサポート 6.サービスの今後の展望 7.最後に
図1 ※番号の付与、「リード文」の表記は当会



これを見れば瞭然、3の「このような条件を採用する理由」のパラグラフに、PIAMYが利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由が記載されているに違いない、との見通しが立ちます。

まずはこの第3パラグラフの記述を中心に、見ていきたいと思います。

2-2.第3パラグラフの構成

第3パラグラフである「このような条件を採用する理由」は、以下の全7つの文から構成されています。



「このような条件を採用する理由」と題されたテクスト。各文にそれぞれ、1から7までの番号が付されている。
図2


まず、「このような条件を採用する理由」が述べられていそうな箇所として、即座に④が注目されます。

‟性自認ではなく、身分証表記上の性別を一律の条件としたのは、私たちが「その人が女性であるか」を判断することができないためです。”

この文には、「~判断することができないためです」と、明確に因果を示す表現があります。

ならば、これがPIAMYの言う、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限る理由でしょうか?

いいえ、そのように考えることはできません。

なぜなら、ここで説明されているのは、あくまでPIAMYが「身分証表記上の性別を一律の条件とした」(下線と太字による強調は引用者)ことについての理由だからです。

それは、単に「『その人が女性であるか』を判断することができない」という事情を抱えたPIAMYが ‟採用した手段” についての理由――どうしてその手段を採用したのか――であり、それをもって、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由と見做すことは、できません。

ならば、③はどうでしょうか?

‟私たちは「安心して出会うことができない」ことを課題視し、苦渋の決断として「法律上女性であること」を経験した方に限定する運用をとっています。”

この文からは、PIAMYが「『安心して出会うことができない』ことを課題視」していること、つまりPIAMYにとってそれが重大な、克服されるべき問題として考ていていることが読み取れます。

しかし、これも又、単にそれが「課題視」されているからといって、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由であると言うことはできません。

PIAMYが「『安心して出会うことができない』ことを課題視」していることは、「『法律上女性であること』を経験した方に限定する運用」=利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っていることの背景事情だとは言えるかもしれませんが、だから「身分証の性別表記が女性」に限っている理由である、とまで言うことは、できないと思います。

一体、PIAMYは、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由を、文中のどこで示しているのでしょうか?

2-3.示されない‟利用制限の理由”――代わりに、何が行われているのか?

結論として述べると、PIAMYは、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由について、一切述べていません。

この結論に至るには、3の「このような条件を採用する理由」以前のパラグラフ、更に、このテクスト自身のタイトルにも目を向ける必要があります。

「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」 と題されたテクスト。 タイトルや本文にマーカーが塗られ、矢印が書き込まれている。 「同じ事柄が繰り返し言い換えられているだけで、論理が展開しない」との書き込みがされている。
図3


そもそも、このテクストのタイトルは、「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」というものでした。

冒頭のリード文を挟んでパラグラフは、2「利用条件について」、そして3「このような条件を採用する理由」と続いています。

タイトルにある「身分証の性別表記で利用可否を判断していること」とは、2の表題にある「利用条件」と同じ内容を指していると考えるのが自然であり、3には「このような条件を採用する理由」、つまり2に記載されている「利用条件」を「採用する理由」が書かれてあると考えるのが、素直な読み方だと思います。

ところが、それが通用しないのです。

2で示されている利用条件、すわなわち「『身分証の性別表記が女性である方』のみが使える」という条件は3に至っても、その理由が説明されることはありません。

ただ同じ調子で、「『法律上女性であること』を経験した方に限定する運用をとっています」と言い換えられながら、述べられているだけなのです。

こうした事実は、タイトル~第3パラグラフまでを通して眺めてみることで、より明瞭に見えてきます。

この部分では、PIAMYの採用している「『身分証の性別表記が女性である方』のみが使える」という条件、及びそれを採用しているという事実が、繰り返し述べられます。

再度言いますが、 第3パラグラフは、「このような条件を採用する理由」と題されていますし、本テクストのタイトルは「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」となっているのですから、この第3パラグラフはには、PIAMYが採用している利用条件が必要である理由が述べられているに違いないと期待するのは、当然のことだと思います。

しかし、実際にこのテクストにおいて、少なくとも第3パラグラフまでの前半部分までで最も活発に行われていることは、(身も蓋もなく)「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」の、その(ひたすらな!)‟事実” の告知なのです。

これは、何とも木で鼻を括ったような話ではないでしょうか。

ひとりの読者として、PIAMYのこの書きぶりは、極めて不誠実ではないかと感じます。

一方、そのような見通しをもって眺めるならば、先ほど述べた第3パラグラフの④(図2参照)、

‟性自認ではなく、身分証表記上の性別を一律の条件としたのは、私たちが「その人が女性であるか」を判断することができないためです。”


という一文が、利用者を「身分証の性別表記が女性」に限っている理由を述べたものとは言えないということが、よりはっきりと理解できるのではないでしょうか。

先程も述べたように、 この一文は、単に(冒頭から繰り返し述べられている))「身分証の性別表記で利用可否を判断」することを「一律の条件」とした理由(「その人が女性であるか」を判断することができない理由)を述べたもにのに過ぎないのです。

結局、PIAMYは 戸籍の性別表記が “女性ではない” トランスジェンダーやノンバイナリーを排除する理由を、一切述べていないのです。

2-4.仄めかしによる ‟犯人”視 と、ミス・ジェンダリング

但し、PIAMYが「身分証の性別表記で利用可否を判断している」ことの事実を繰り返し述べることで――それを述べるのと同じ数だけ――、暗黙裡に主張されている事柄があります。それは、 戸籍の性別表記が “女性ではない” トランスジェンダーやノンバイナリーはサービスを利用できないという、排除の宣告です。

PIAMYのサービスに関心を抱いてこのテクストに足を踏み入れた当事者は、自分がサービスを利用できないことの納得できる理由、正当な理由を知りたくて、文を読み進めてきたはずです。だが、肝心の理由は、一向に示されない。

論理展開もさっぱりないまま進行していくテクストにおいて、しかし次々と、微細に表現を変えながら繰り返される、(自分が) ‟サービスの対象外” であるという、‟事実” の告知。

このテクストによって当事者が突き付けられるのは――サービスの提供者による、強い排除の意思ではないでしょうか?

もっとも、そうは言っても、PIAMYの立場からすればそれは不可抗力。

意図したわけではない、単なる反射的効果と言うべきものかもしれません。

少なくとも、PIAMYは事業者として、単に自身が提供するサービスの利用対象者について説明をしているだけだという弁解が、可能であるように思います。

もちろん、その利用条件自体が不当であるのだと、PIAMYに主張することはできるかもしれませんが、しかしひとまず、私たちが、このPIAMYのテクストを読んでいるのは、その(「不当な」)利用条件が正当化される理由があるらしいという前提を、受け入れてのことだったはずです。

然らばPIAMYには、自ら示したこの ‟前提” を履行する、道義的責任があるはずです。

すなわち、PIAMYは、「身分証の性別表記が女性である」者に利用を制限する正当な理由を、はっきり示すべきです。(註3)

さて、一方で、PIAMYが積極的に行っていることがあります。それは、「女性を装った男性ユーザーが紛れ込む事案が多発」していることへの、話題のすり替えです。

PIAMYは、「このような条件を採用する理由」について述べるとうたいながら、実際には「既存のレズビアン向けアプリにおいて、女性を装った男性ユーザーが紛れ込む事案が多発」していると述べ、あたかも戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーによる ‟迷惑行為” が、この条件採用の理由であるかのように仄めかしを行っています。

一体、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーの利用を排除することと、「女性を装った男性ユーザーが紛れ込む事案が多発」していることとの間に、どのような関係があるというのでしょうか?

これは実際には、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーについて、「女性を装った男性ユーザー」であるかのように読者に錯覚させようとする行為であり、この人々を「安心して出会うことができない」事態もたらしている存在として “犯人” 視する、大変に悪質な行為です。(註4, 註5)

そもそも不適切なミス・ジェンダリングでもあるこうした語りは、 公衆浴場や女子トイレに侵入する犯罪者を女性トランスジェンダーになぞらえるトランスヘイト・デマと同様の悪質な差別言説であり、厳しく非難されるべき行為です。

2-5.話題の転換による差別行為の ‟穴埋め”

続いてテクストの後半を見ていきたいと思います。後半部分は、以下のようにパラグラフが続きます。

  1. 私たちのこれまでの歩みと、これからのサポート
  2. サービスの今後の展望
  3. 最後に


第4パラグラフ「法律のアップデートとトランスジェンダーの現状」では、2025年の最高裁決定による、性同一性障害特例法第四号要件、いわゆる生殖不能要件(註6)についての違憲判断について新たに言及があり、PIAMYは「自認する性別に沿って生きることが困難な方々が数多く存在している現状も私たちは忘れていません」と述べています。

PIAMYが「自認する性別に沿って生きることが困難な方々が数多く存在している現状」を忘れずにいること自体は結構なことですが、しかし、このことは、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを排除していることを、何ら ”穴埋め” するものではありません。

にも拘らず、ここでは直前、第3パラグラフでの「このような条件を採用する理由」が何ら示されないまま話題が転換されることで、まるで問題行為の ”穴埋め” が可能であるかのような演出がされてしまっているように思います。

続いて、第5パラグラフでは、

‟私たちは、単に「法律が変わるのを待つ」だけでなく、トランスコミュニティの皆様と共にあることを大切にしてきました”


と、更に別の話題が展開されます。そしてPIAMYが「トランスコミュニティの皆様と共にある」具体例として、

  • トランスジェンダーの居場所作りを支援する「クィアフリマ」への協賛・寄付
  • 西原さつきさん(乙女塾)とのYouTubeコラボや、共同イベントの企画(註7註8
  • PIAMYの利用者要件に限らずにレズビアンを祝福する、レズビアン可視化キャンペーン「L-Vis Week」の主催(註9


の三つの例が挙げられます。

加えて、PIAMYの事業主体である株式会社アルトレオス代表取締役の星マリコさんが、過去に「トランスジェンダー女性と共に国際女性デーを考える動画のディレクション」に携わったことも、紹介されています。

この第5パラグラフでも、第4パラグラフと同様に、話題の転換と問題行為の ”穴埋め” が可能であるかのような演出効果が発揮されていることが、観察できます。

<トランス>排除の利用ポリシーはそのままに、別の行為を持ち出すことで自身を ‟トランス・フレンドリー” に演出してみせることは、汚点の洗浄とでも言うべき行為であり、欺瞞を指摘されても致し方ない行為だと思います。

2-6.優先される自責感の慰撫

一方、第5パラグラフの後半部では、思考の混乱も見受けられます。

PIAMYが、

‟現在のシステムがトランス女性が実社会で受けている差別を想起させ、強化しかねない内容になっていることに、深い申し訳なさを感じています。”


と述べる様子には、自身が差別行為をはたらいていると認めることへの躊躇いや、心苦しさが窺えます。

このように内心を吐露する行為は、結果として、サービスから排除されている女性トランスジェンダーやノンバイナリー、あるいはそれが差別だと指摘する人々の処罰感情を慰撫する効果があるかもしれません。

しかし、本当に自責の念を感じているのであれば、そもそも自分たちの行っている差別を潔く認め、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを排除する利用条件を改めるべきでしょう。

被害者を前に――しかも問題の本質に言及することをせずに――行われる自責感情の吐露は、(被害者の救済よりも)加害者の感情を優先させる行為でもあると思います。

PIAMYのこうした傾向は、続くテクストにさらに強く現れています。

‟また、「現状のルールは仕方ない」と受け入れてくださるトランスジェンダー女性の皆様に感謝するとともに、「仕方ないこと」だと諦めるのを当たり前に思ってほしくないという強い気持ちがあります。それは、PIAMYがセクシュアルマイノリティ・コミュニティ全体に対して抱いている願いでもあります。”


差別され、サービスの利用からあらかじめ排除された人が、それを行っている当の者から「感謝」を述べられたならば、一体どのような気持ちになるでしょうか?

また、 更に続けてPIAMYは、「『仕方ないこと』だと諦めるのを当たり前に思ってほしくないという強い気持ち」があるとも述べています。

これは自分たちの差別行為を棚に上げたまま、それによって権利侵害を受けている人に向けて、説法を行うようなものです。

これには、‟盗人猛々しい” との慣用句を想起せざるを得ないません。


こうしたPIAMYの態度は、あまりに独りよがりなものだと思います。

テクストは、「それはセクシュアルマイノリティ・コミュニティ全体に対して抱いている願い」でもあると続きますが、もはや閉口してしまって、述べる言葉も見つかりません。

PIAMYは、自身の欺瞞的な言葉や態度が、排除され続けている被害当事者にどのように響くのか、よく考えてみるべきだと思います。

2-7.「技術的・財政的な壁」を口実とした責任回避

この後テクストは、「サービスの今後の展望」「最後に」とパラグラフが続いた後、綴じられます。

‟私たちの目標は、「身分証の性別表記による審査をなくし、世界観に共感するすべての方が、安全に、自分らしく出会えるコミュニティ」を技術的に実現することです。”



とPIAMYは述べ、その実現のためには「技術的・財政的な壁」があるのだと主張しています。しかし、差別が技術的困難によってもたらされているなどということが、あるはずがありません。むしろ差別は、技術を動員して行われます。

また、漠然と財政的事情とだけ理由を示すのは、現実性を伴わない、無責任な主張であると思います。

求められる事柄について、可能な予算で実現するべく創意工夫をすることは、ビジネスの常です。

財源が限られていると言うのであれば、その限られた予算のうちで、不当な<トランス>排除を解消するべく、出来ることを探してやるべきです。

(L-Vis Week や PIAMY FES に注力する一方で、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーに窓口をまったく開かないPIAMYの現状は、「技術的・財政的な壁」がもたらしている問題なのですか?)

身分証表記上の性別を一律の条件」とする対応は、単に ‟ビジネス” という視点から眺めても大変に硬直的で、クリエイティビティを欠いた発想であるように思います。

しかもこれは、人の尊厳に関わる問題なのです。

PIAMYの弁解は、自らの差別行為を技術や財政の問題だとすることで、その責任の回避を企てているものだと感じられます。

3.おわりに――正当化されるトランス・ノンバイナリーへの差別と排除

以上、本論考では、PIAMY公式サイトに掲載されている「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」と題されたテクストを辿りながら、本テクストにおいて、PIAMYがどのような行為を行っているのか、眺めてきました。

 PIAMYは、サービスの利用から、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを排除する一方、その確たる理由を示さず、代わりに「女性を装った男性ユーザー」の脅威を説くことで、自らの排除行為の正当化を図りました。

また、それはミス・ジェンダリングの下にデマを煽り立てる、<トランス>差別の言説そのものでもありました。

他方では、PIAMYは自責感情を吐露することで、自ら差別し排除している<トランス>の人々の感情的慰撫を期待しつつ、トランス・コミュニティ等への支援を通じた協働・友好関係を示すことで、自身の差別行為が ‟穴埋め” 可能であるかのように見せる、欺瞞的演出を行っていました。


PIAMYが提供しているマッチング・アプリの現状は、紛うことなき<トランス>差別のサービスとなっています。

PIAMY、及び運営会社たる株式会社アルトレオスは、自身がもたらしている差別の実態を直視し、正しい認識に立ってください。

戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを排除する利用条件を、改めてください。

 

※図表は全て、引用元のテクストを元に当会にて作成



***
註書

註1

本論考においては、PIAMYが、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを差別・排除している事実を問題としている。両者を包括的に表す言葉として、必要に応じて<トランス>と表記する。

註2

これまでも、こうした批判は寄せられてきたようである。2026年3月31日、PIAMYは、自社の Instagram および threads アカウントに、「PIAMY はトランス排除アプリなの?」という問いに答える動画を投稿した。(下記は YouTube の PIAMY公式チャンネルへの投稿動画

閲覧注意! 
<トランス>差別的な動画が流れます!


この、1分29秒とごく短い動画には、運営会社である株式会社アルトレオス代表取締役の星マリコ(山本真梨子)、広報担当の山﨑穂花が出演し、「PIAMY はトランス排除アプリではありません」と述べているが、ここで展開されている主張には、「身分証の性別表記で利用可否を判断していることについて」と題されたテクストと、その構造が酷似しているように見える。

すなわち、PIAMYは、そのサービスの利用について、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーを排除しておきながら、

  1. PIAMY はトランス排除アプリではありません」と述べて差別・排除の事実を否認し、
  2. 差別・排除を指摘しする声に対して「実は私たちも悔しい」と、自身が抱いている感情との同質性を対置することで批判に取り合わず、
  3. その分アプリ外でトランスコミュニティをサポートしたいと思ってます!」と話題を転換させることで、自らの差別行為について ”穴埋め” が可能であるかのように演出し、
  4. まだまだビアンコミュニティも強いコミュニティじゃない」との現状認識を示すとともに、「そこを元気にしていくことが」「トランスコミュニティと合流するための道」であると述べることで、自らの差別・排除行為は、差別を受けている当事者のためでもあるのだと倒錯した正当化を行い、
  5. 私たちも同じ気持ちです!」と共感の言葉を述べることにより、差別行為による被害当事者との友好関係があるかのように演出することで、差別行為の主体たる自身の責任を無きものにしようとし、
  6. PIAMYはトランスコミュニティと共に!」と締め括ることで、加害者としての責任はもちろん、差別構造そのものの存在を否認する

ことによって、自己の<トランス>差別の正当化を図っている。

一方、レズビアン・コミュニティの事情を持ち出してのトランス差別が正当化されている点(上記4,5,6)は、この動画だけに新たに見られる特徴である。

セクシャルマイノリティに対する差別を、同じセクシャルマイノリティであるレズビアンの存在を用いて正当化しているという点において、これは何重にも悪質な差別言説であると言えるだろう。

註3

理由を説明するべきところを、それに代えて‟事実” を告知して代位させるのを常套とする制度として、法権力の存在が挙げられる。

PIAMYはしかし、本件において、法によってその行為を強制されているものではない。

にも拘らずPIAMYは、本件において、法的性別制度を自ら、積極的に行使していると言える。

思うにPIAMYがこのテクストにおいて真に為すべきことは、なぜ自ら進んで法権力に従い、その力のおよぶ範囲を拡張させているのか、その理由を説明することではないか。

もっとも、それも単に‟ビジネス”が要求する効率性の最適化として説明されてしまうものかもしれないが、しかし、法を<法>たらしめている理由は法であるという態度は、人間道徳の向上に何ら役立つものではないであろうし、法外に留め置かれている<トランス>の福祉に、(端から)何ら貢献するものではないだろう。

註4

森田真梨子と石丸径一郎(森田・石丸,2023)は、「日本における昨今のトランス排除」の現況を概観するにあたり、自民党の有志議員による「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」結成について触れ、「定義上のトランス排除が生じている」と述べつつ、さらに付け加えて、「ここに,定義上の排除のみでなく,ある属性の人々に無条件に暴力性を付与するという差別が見て取れる」と述べている。

この分析を本件に適用するならば、PIAMYは、戸籍の表記という「定義上の排除」を(それとなく)援用しつつ、「ある属性の人々に無条件に暴力性を付与するという差別」を新たに行っている、と言えるのではないか。

‟さらに,シス女性の安心・安全を確保するといいう目的のための方法としてトランスの女性の排除を目指すこと自体が,「トランスの女性がシス女性の被害の原因である」という差別的な因果関係の推定の上に成り立っており,そしてまた,それを明言すること自体がその差別を再生産していることは言うまでもない。ここに,定義上の排除のみでなく,ある属性の人々に無条件に暴力性を付与するという差別が見て取れる。”

註5

森田・石丸(森田・石丸,2023)は、近年のTERF、いわゆるトランス排除的フェミニズムの言説におけるレトリックについて「直接的にトランス排除的なレトリック」と、「このようなレトリックが批判を免れ流通する支えとして機能する」レトリックに大別したうえで、それぞれを、更に細かくカテゴリー化して分析している。

そのうち、「直接的にトランス排除的なレトリック」に見られる「トランスを抑圧主体として表象するレトリック」として、「加害者化」を挙げている。

1)加害者化
トランスの人々を暴力的な主体や犯罪者として 表象するレトリックである。Ahmed(2016)は,平和なフェミニストのマー チにおいて,トランスの女性を“男の/オスのトラ ンスジェンダー(male transgender)”と呼称し, 複数人のトランスの女性の写真と共に,(彼女らと は無関係の)性犯罪のエピソードが記載されたパ ンフレットが配られた出来事を引き合いに,無条件にトランスの女性が暴力性と結びつけられて表象される状況に警鐘を鳴らす。このような状況を, Ahmed は“トランス=暴力と死(Trans = violence and death)”という簡潔な定式化によって表している。”



註6

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律

第三条(性別の取扱いの変更の審判)
家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
(略)

四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

註7

西原さつきは、「女の子らしくを叶えるレッスンスクール」として、「トランスジェンダー・MtF(Male to Female)・女装・自信が持てない女性など、性や自分らしさに悩む」個人に対し、ボイストレーニングやメイク・レッスン等を提供する「乙女塾」を経営する、MTFトランスジェンダーとして有名な人物である。

西原は2025年10月28日、自身のYouTubeチャンネルに、PIAMYの星マリコと穂花(山﨑穂花)と共演する動画を投稿した。

この動画において西原は、自身が戸籍の性別表記を女性へと変更したことを語りつつ、星と穂花に対し、トランス女性はPIAMYを利用することが可能なのかと、尋ねている。

それを受けて星は、戸籍の性別表記が女性である者が利用できると述べ、西原などの「トランス女性」も利用可能だと語っているが、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーが利用できないことについては、言及していない。

(西原による言及も、ない。)



註8

星マリコと西原さつきは2026年4月22日、L-Vis Week2026公式サイト掲載の記事に登場し、註7で参照した動画の延長戦とも言えるような対談を行っている。

席上、星が、PIAMYは「身分証上の女性のみ利用できる」ことについて述べたのに応じ、西原は、


‟確かに戸籍上の性別というのは悲しいけれど「しょうがないよね」と思う人が多いのではないか”


と述べ、女性トランスジェンダーが様々な社会空間から疎外されている実情を「何かわきまえているトランスジェンダー」というエピソードとともに紹介しつつ、PIAMYについて、


‟トランス女性もユーザーとして想定されているというのは、ありがたい視点だと私は思います”


と話している。

他の社会空間と同様に、PIAMYが提供するサービスからも、戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーが排除されていることは、ここでは星・西原の双方が、ともに認める事実として語られているわけであるが、一方、西原は「トランス女性もユーザーとして想定されている」との認識も示す。

西原が述べる、「ユーザーとして想定されている」「トランス女性」とは一体、どういう人々のことを指しているのか?

それを「ありがたい視点」と述べる西原自身は、いかなる立場で、その言葉を述べるのか?

森田・石丸(森田・石丸,2023)は、(「直接的にトランス排除的なレトリック」が)「批判を免れ流通する支えとして機能する」レトリックを、更に細かく類型化し、「トランス排除を正当化する守りのレトリック」のひとつとして、「模範的な当事者の包摂」という類型を挙げている。

‟模範的な一部の「当事者」を容認するレトリックである。しばしば,このような「当事者」は, 「模範的でない」トランスの人々や,トランス・ アクティビストなど,自らのレトリックに批判的な層を線引くために用いられる。Gwenffrewi(2022)は,J.K.ローリングが,ジ ェンダー・クリティカルの人々はトランスヘイターではないと主張し,その根拠として“単に自分 の生活を送りたいだけのトランスの大人たち (trans adults who simply want to live their lives)”に対しては共感的であると述べたことに言及する。ここで語られているのは,模範的なトランスの人のみの条件付き包摂である。”

この類型を反対解釈しつつ私見を述べるならば、「模範的な当事者」が包摂される一方で、いわば‟非模範的” であるとして排除される(されたはずの)<トランス>は、他方で「何かわきまえているトランスジェンダー」(西原)として、(新たに、別の)規範に従うべく、要請されているように見える。「模範的」ではないことによる排除を、しかし一種の‟拘束力” の発現と考えるならば、<トランス>が、いわばダブルバインド的状況の下に置かれていると、見ることもできるだろう。

 <トランス>は、複雑で重層的な抑圧の下に置かれている。

註9

L-Vis Week2026は、L-Vis Week実行委員会と、PIAMYの事業主体である株式会社アルトレオスが、4月26日の「レズビアン可視化の日」を含む一週間を「L-Vis Week」とし、レズビアンの権利啓発や、様々な交流イベントなどを行う企画の名称である。

同社代表取締役の星マリコ(山本真梨子)は2026年2月18日、プレスリリース配信サービスであるPR TIMES の記事において、

‟特にPIAMYは、戸籍上女性の方に限ったアプリのため、レズビアンの中でもご利用いただけない方もいます。このムーブメントでは、PIAMYのユーザーに限らず、全てのレズビアンと、グラデーションでつながる周辺セクシュアリティと連携し、PIAMYとしてのコミュニティへの責任も果たしたいと考えています。”

とコメントしている。

L-Vis Week2026公式サイトを見れば、「共に歩む、すべての女性とノンバイナリーの居場所のために」と題し、

‟L-Vis Weekは、レズビアン、バイセクシュアル、パンセクシュアル、アセクシュアル、アロマンティック、そしてノンバイナリーなど、女性を愛する人や、女性として、あるいはノンバイナリーとして生きるすべてのセクシュアルマイノリティの存在を可視化し、祝福します。”

とも書かれているが、一方、PIAMYは このL-Vis Week2026 期間中の企画として、東京都恵比寿にて「PIAMY FES」というイベントを2日間にわたって開催することを予定している。だが、このイベントの参加条件もまた、PIAMY アプリのユーザーに限定されている。

戸籍の性別表記が女性ではないトランスジェンダーやノンバイナリーは、ここでも相変わらず排除されている。


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