【全文公開】zine 「自分の名前で生きたい!自分の性を、生きたい!」
zine の表紙 フェミニス虎は2026年3月8日・国際女性デーに開催されたウィメンズマーチ東京2026に参加し、現地にて zine を配布しました。 既に 別記事 にてその冒頭文を公開していますが、ここに改めて、zine に収められた三編のテクストを公開します。 zine の冒頭文( 別記事 にて公開済み) <なまえの権利>の問題をフェミニズムの課題として真正面に据え、考えるための助けになるならば、幸いです。 *** N による小編 〈私〉と〈なまえ〉の間には緊張がある 〈私のなまえ〉は、 〈私〉が〈あなた〉に伝えたくはなかった物事をも、明らかにしてしまうことがある 私は自由が欲しい 何という名で呼ばれ、記憶され、 記録されるのか、 何という名を生き、 そして、何という名で死んでいくのか、 名を保ち、取り戻し、手離す自由が欲しい 私が求める自由は、 幾千もの人びとの痛みと 呼応しあう 私たちは日々、 互いに呼びかけ、 応え合いながら、 関係を構築している (N) ______ 「ひ」による小編 ある日の日本語レッスン 「あなたのお名前は、なんですか?」 「わたしのなまえは○○です」 「○○さんですね、こんにちは」 「ねえ、先生。わたしの本当のなまえ、教えてあげようか?」 「えっ?」 「わたしの本当のなまえ。○○は、植民者がつけた名前」 証明書、パスポート、ぜんぶ全部、 ○○になってる。 あなたたちも○○さんと呼ぶ。 だけど、私は○○じゃない。 わたしの本当のなまえは、 それじゃない。 そうじゃない。 もう、どこにもない。 「もう、ここにしかない」 その人はそう言って、自分の胸の辺りを 指し示した。 (ひ) ______ 「にゅ」による小編 名前には、ままならないところがある。 それは時に、〈私〉がどんな性別か、どんな言語圏に属するかを勝手に示すし、〈私〉はそもそもそれを選んで生まれてきたわけではない。 「結局のところ、他者に名付けられることがトラウマ的なのだ」(Judith Butler, Excitable Speech , 38)。 しかしおそらくだからこそ、私たちはそれを何とか自分のものにしてきた。 国を奪われた人が二つ以上の名前を持ってもよい。 押し付けられた性別に抗う人が新たな名前を発明してもよい。 トラウマを引き起こす名前を、何かの折に変...